ミニマリストの森

ミニマリストになりたいアラフィフシングルママのブログ

本来持っているものが出てくる時



【スポンサーリンク】

その後パワハラの姿を見かけない。


穏やかな日が続いており、場の雰囲気も和やか、なので私の気持ちも安定している。


穏やかなその人に相対する時、何もなければこんな穏やかな表情の人なんだ、とか、立場的にこの人も大変なんだろうな、という擁護の気持ちを持つとともに、でも、どうしても前に見た表情や語調が頭をよぎる。


いい環境の時は皆いい人でいられる。


大変な環境の時、人は本来持っている姿を表す。


戦時下の軍隊やアウシュビッツでの手記を見ると、人間としての落差が大きく現れる。


それが過酷なら過酷なほど、落差は大きくなってゆく。


本能のままに、より動物に近づく者、


過酷な現実と「人として」の自分との間で葛藤し続ける者、


崇高なその人本来が現れてくる場合もあるのだろう。


アウシュビッツからの生還者である精神科の医師フランクルの著書「夜と霧」に、そんな人間の軌跡や奇跡が記されている。


現代の平和な日本に住む私たち。


穏やかな環境ではその人が本来持っているものは出てこない。


どちらかというと、綺麗とかカッコいいとか話が面白いとか仕事ができるとか、(極端に言えばだが)表面的なことで事足りてしまうのかもしれない。


もちろんそれは悪いことではないと思う。


でもやはり、大変な環境に陥った時に出てくる人の善意とか助け合いなどに感動や真理をおぼえてしまう。


だから自分も…悪い環境でもくさったりせずに真面目に誠実に日々を過ごしてゆきたいと思う。


それが報われないとしても。


信仰のある人は「神様は見てくれている」という思いで自分を律するのだろう。


信仰のない自分は「自分だけは知っている」と思ってやるしかないと思っている。


実際、ズルい自分も、誠実な自分も、自分だけは知っているのだから。